調停について思う

種村 求 (弁護士)

 紛争が生じた場合,紛争当事者間での直接交渉だけで解決しない場合には,調停や訴訟といった司法手続を利用することになるが,家事事件の場合,調停前置主義がとられており,必ずといっていいほど調停を経る必要がある。

 調停の場合,公平中立の立場にある第三者が間に入り,当事者双方の話を交互に聞いてもらえるため,当事者間の直接交渉よりは公平に適う面があるし,解決もされやすい。 また,訴訟に比べれば専門知識のない一般当事者でも利用しやすいといったメリットはある。

 しかし, ①調停は話合いにより解決を図ろうとする場ゆえに,「声が大きい者が勝つ」という面が否めない, ②調停委員が必ずしも法の専門家でないこともあってあるべき調停の方向性が示されずに,ずるずる時間だけすぎることがある, ③調停を経由しても訴訟になった場合また1から話合いになることも多い, ④当事者双方から延々と話を聞くため1期日の時間が長すぎる,といったデメリットがある。

 特に,④の点は,仕事を抱える当事者にとってきわめて不都合な点である。 期日に毎回家庭裁判所まで赴いた上,その日いつ終わるとも知れない話合いをし,また何ヶ月話し合えば解決するのかも見通しが立たない,というのでは,紛争解決機関としての調停の利用に二の足を踏む人,調停の負担ゆえに納得できない解決を受諾せざるを得ない人,たくさんいるのではないか。

 法の専門家である審判官(裁判官)にもっと調停の場に同席してもらい適切なサジェスチョンがなされさえすれば,スムーズに話合いが進み,前述の①から④までの問題点がかなり改善されるのではないかと個人的には思う。 しかし実際には審判官が抱える事件数が多すぎるようで,同席してもらう時間などほぼ皆無である。 調停では,「評議を行いますが,審判官がほかの評議に入っているためしばらく待ってください。」と言われ,待ち続けた挙げ句,その評議後の調停には審判官が同席していない,なんてことの繰り返しである。 この問題の解決には,おそらく裁判官の数を増やす以外にはない。 ところが,その増員の動きは鈍い。 「国民にとって身近で利用しやすい司法」への改革は,その改革の必要性を実感できる弁護士こそが,声を大にして言い続けなければいけないようにも思う。