裁判手続きのIT化について
本田 正男 (弁護士)
私が弁護士になって20年以上の歳月が流れましたが,この間変わらなかったことの一つが裁判の手続きが書面によって,つまり,紙を使って行われているという点にあります。
一方で,この間欧米に限らず,アジア諸国においても,裁判手続きのIT化は進み,訴状はパソコンの前に座ったままで夜中でも提出できるようになりました。シンガポールのように国策として行なっている国はもちろんですし,韓国などでも当の昔に実現しています。また,国内に目を向けても,民間レベルでの電子署名や電子契約は勿論,納税手続きに代表されるように行政手続の電子化も急速に浸透定着しています。ところが,裁判の手続きだけは,三権の一翼を担っているにも拘らず,国家予算全体の0.35%に過ぎないという司法予算の脆弱さと相まって,遅々として進みませんでした。各国のIT化の現状を探るため日弁連の調査を繰り返す中で,この調子では,生きているうちに実現はしないのではないかと思っていたのですが,昨年突如として,閣議決定といういわば外圧によって,裁判手続きのIT化が実現する運びとなりました。
手続きのIT化は,時代の趨勢であるというだけでなく,国民市民の立場からみても,電子技術の利用によって裁判手続きに対するアクセス改善が期待されることや,手続運用上のコストを全体として低減させられることから,結論としては,国民みんなにとって歓迎されるべきことだと思っています。
ただし,裁判手続きのIT化は,ただ実現すればよいというものではなく,越えなければならないいくつかの問題点もあるように思われます。たとえば,(1)電子技術や操作に通じない利用者の補助援助をし(「デジタル・デバイド」などと呼ばれる問題です。),このような利用者の裁判を受ける権利を実質的に害することのないように配慮する必要がありますし,(2)訴訟記録の紙による保管管理が電子データによる保管管理へ移行したことによって,記録管理の安全性が低下することがないようにしなければいけません(いわゆる「セキュリティ」の問題ですね。)。また,弁護士会としては,これまで取り組んで来た,(3)地域司法と呼ばれる,地域毎に裁判所や裁判官を配置することを目指す運動の充実拡充の流れに逆行するようなことは避けなければなりませんし,同時に,(4)いわゆる非弁活動と呼ばれる,法律家の資格のない人が脱法的に裁判の手続きに入り込んでくるような事態に陥ることも許されません。
また,(5)この後,民事訴訟法の改正が検討されますので,私たちが教科書で学んできた民事訴訟の原則がどのように変化するのか,注視したいと思います。特に,今回のIT化を契機に,これまで弁護士会が,最高裁判所に対し,働きかけを続けている裁判の公開については,判決の全面公開を含め一層進めるべきと考えています。この間の海外調査に関わって来た経緯から,現在日弁連でも,また,地元の神奈川県弁護士会でも,今回のIT化の特命チームに参加させて頂いていますので,(きっかけは内閣(官房)の主導によって開始されたとはいえ,)この機を捉えて,上記の裁判公開の充実など,裁判手続きの一歩進んだ公正化の実現に向けて努力したいと思っています。