争いと弁護士
弁護士 笠井 勝彦
昨年もいろいろな争いが始まり、続き、終わり、また別な争いが起きた。
弁護士は、人( 又は人の組織) と人との間に争いがあることを前提とする生業である。争いが無くなれば、弁護士は無用・不要の存在となる可能性がある。
しかし、幸か不幸か? 人の争いは、未来永劫、絶対に無くならない。
人にはそれぞれ個性(性格、欲望、理性、知性、信仰、趣味、趣向、容貌、体型、立場、地位等々)があるが、個性の伸張、個の尊重が進むほど、争いの原因が増え、争いが複雑化して解決が困難になると思われる。
かつては被害者さえその被害を認識しなかった言動がハラスメントと評価され、衆参両院の全会一致で成立した旧優生保護法に基づくハンセン病患者に対する強制不妊手術の定めもその後48 年を経て最高裁で憲法違反と判断された(2024 年7 月23 日大法廷判決15 裁判官全員一致)。
同性婚を認めるべきとする裁判もあり、婚姻後の夫婦別姓に関する議論も活発になってきた(女性職員の「寿退社」を当然とする某地方金融機関に対して「婚姻後の氏使用妨害禁止仮処分決定」をした数十年前とは全く違った状況である)。
弁護士は、どのようなスタンスで争いの予防や解決に臨むべきか。
差し当たりは「依頼者のために最善を」と思うが、何をもって最善というのであろうか。
依頼者に利益を与え、損失を防ぐことが依頼者のためにならないこともあると思う。
違法に加担しないのは当然としても、前記のハラスメントや不妊手術が違法というのも最近の第三者の判断の1 つにすぎない。
弁護士や司法機関が争いの予防や解決を担当すべきかという問題もある。
弁護士や裁判官は、蓄えた知識や経験だけではなく、学説判例など文献を調査検討した上で訴訟活動をする。
しかし、文献を文字通り渉猟することは物理的にも極めて困難である。
その点、機械学習が可能になった人工知能AIは、瞬時に文献を調べ、整理し、検討し、求めに応じて「正解」までも示してくれる。
人の争いが尽きないとしても、その予防や解決のために人が関与する時代が終わり、弁護士や裁判官はやはり不要ということになるのであろうか。