「東日本大震災の跡を見て」

弁護士 松本 素彦

 神奈川県弁護士会36期の同期旅行として、2025年7月中ころ、四日間、東北の三陸地方を旅行しました。主な動機は、2011年3月11日に東日本大震災で大津波の直撃を受けた三陸地方が14年後の今日どのように復興しているかを、直接目で見て確認したいと思ったからです。

 最初に行った釜石が印象的でした。釜石は製鉄所と社会人ラグビーが有名で、震災当時は、製鉄所は新日鉄釜石として操業し、ラグビー部も「北の鉄人」として全国的に有名でした。

 釜石製鉄所は、この震災による津波で港湾設備に甚大な被害を受け、一時操業停止を余儀なくされたのですが、懸命な復旧作業により、比較的短期間に生産を再開し、地域経済の復興に貢献したと伝えられていました。 

 ただ、高炉による鉄の生産という時代は既に終わっており、震災当時は特殊鋼線材に特化した単圧製鉄所として存続していました。それでも、かつての高炉の存在を象徴する煙突は今でも健在で、時折水蒸気を排出しながら、釜石復興のシンボルとして市民に愛されているとのことでした。

 市街地の状況は高台にある「釜石市立鉄の歴史館」から見おろして確認出来ました。当時10メートルを超える津波で流された家々は、今は新しく建て替えられており、落ち着いた街並みとして復興していました(写真参照のこと)。

 なお、写真では遠方に大きな観音像が見えます。これは釜石湾を見下ろす高台に位置していたため、観音像本体は津波の直接的被害を免れ、震災の後は、多くの犠牲者の魂を鎮める象徴として、その存在が再認識されたとのことであります。

 旅行の二日目は、宮古に行き、遊覧船に乗り、浄土ヶ浜への往復をしました。途中ウミネコの群れが何度も船にやってきて、乗客の頭や顔、衣服にウミネコの糞を落として行きました。

 三日目は、三陸鉄道の北リアス線で宮古から久慈に行き、そこでJR八戸線に乗り換えて八戸まで行きました。

 前半の三陸鉄道は、殆ど人のいない山の中を、断崖絶壁の単線上をディーゼルカーで走り移動しました。殆どが無人駅と言った状態でした。

 「タロウ」という駅がありました。漢字では「田老」ということでしたが、カタカナしか目に入らず、我が愛犬の「タロウ」と同名でしたので感激しました。

 この地も津波の被害は大きく、駅自体に直接浸水被害はなかったものの、防潮堤を乗り越えた大津波のため市街は壊滅。多くの犠牲者を出し、この「タロウ」という名の駅も無人駅になりました。

 三日目の後半は、八戸で蕪島に行きました。観光客も多かったのですが、それにもましてウミネコが空中、地上に沢山群がっており、二日目の遊覧船での経験以上に、ウミネコと人間との協和感を感じました。当然、頭や顔、衣服がウミネコの糞の被害を受けました。

 以上総じて、地震、津波、リアス式海岸の断崖絶壁等、自然の壮大な力や脅威を感ずるとともに、それを乗り越えて生き、自然と融和して行く、人間という存在の偉大さ、知恵と勇気を感じ、希望を新たに致しました。

 最後の日の四日目は、レンタカーで十和田湖に行き、モーターボートに乗り込み、湖を一周しクルージングを楽しみました。

 お陰様で大変有意義な同期旅行となりました。

以上